BS-TBS「諸説あり!」とは?
BS-TBS毎週土曜日夜10:00~10:54に放送されている番組です。
森羅万象に諸説あり!諸説の裏に新たな真実あり!ということで・・・
誰もが信じて疑わなかった歴史上の人物や出来事にある諸説を紹介してくれる番組です。
「聖徳太子は実在したのか?」
「邪馬台国はどこに存在したのか?」
「巨大ピラミッドはどのようにして作られたのか?」
「未解決事件の犯人は?」
あらゆる人類の歩み、そして森羅万象に…「諸説あり!」
この番組では、森羅万象…あらゆる事象について、世に存在する様々な「諸説」を掘り起こし、徹底検証。
諸説の裏に隠された真相を手繰り寄せれば、新たな真実が浮かび上がる!
番組のMCを務めるのは堀尾正明と吉川美代子。
ニュースからバラエティまで、数々の番組出演によって培われたトーク力と専門家にも劣らない知識量で番組を盛り上げてくれます!
再放送は、土曜日か日曜日の午後1時から放送されています。公式ホームページでご確認ください。
諸説あり!「謎多き英雄 真田幸村の正体」の解説
真田幸村と言えば、戦国武将の中でも常に人気上位にランキングされる武将です。
2016年には、NHK大河ドラマ「真田丸」でもその生涯が描かれ、その高い視聴率からも人気の強さが解かりましたよね。
ところで、この真田幸村には、いろんな諸説があるんです。
諸説があるということは、謎が多いということなんです。
今回は、以下の3つの諸説についてご紹介します。
・真田幸村は長男だった!
・真田幸村は徳川家康のスパイだった!
・真田幸村は鹿児島で生存していた!
【諸説1】真田幸村は長男だった!
真田幸村は昌幸の次男で、長男は信幸というのが定説です。大河ドラマ「真田丸」でもそうでしたよね。しかし、幸村のもともとの名前は源次郎で、信幸は源三郎なんです。この名前に付けられた数字の逆転現象は、どう考えても真田幸村が長男で兄だったということを物語っています。これは、とっても説得力がある話ですよね。そして、幸村は若い頃には上杉や豊臣などの大国の人質になっていましたし、徳川家では秀吉の側近として使えたり大谷刑部の娘を嫁に迎えたりしています。このあたりも、長男であったことを物語っているように感じます。
では、なぜ、日本史では幸村が次男とされているのでしょうか?おそらく、江戸時代になって徳川に仕えた真田信幸にとって、また、徳川家にとっても信幸が長男であるほうが都合が良かったために、事実をすり替えたのではないかと考えられます。あくまでも諸説ですが、これはかなり信憑性のある話だと思います。
【諸説2】真田幸村は徳川家康のスパイだった!
この説を裏付ける一番の根拠は、幸村が幽閉された九度山の生活が、家族や重臣たちと一緒に生活できるという歴史上ではほとんど例がないほど甘い処罰であったということです。通常は、家族とも引き離されて島に流されることが多いですから・・・。そして、もう一つの根拠は、大坂の陣で東軍の徳川義直の軍勢に対して、幸村は「若武者、あっぱれ!」と言って扇子を投げたという記録が残っているんです。徳川義直は家康の九男で尾張藩の初代藩主となった人物ですから、もしスパイであったなら味方にエールを送ったということなのでしょうか。
でも、この説に関しては半信半疑という感が強いですね。だって、幸村は家康の本陣にも襲いかかっているんですからね。
【諸説3】真田幸村は鹿児島で生存していた!
真田幸村は、逃げのびて一息ついていたところを徳川軍の兵士に討たれたというのが歴史上の定説となっています。しかし、その遺体がどこに埋められているのかは謎となっています。また、家康は「幸村はお前ごときには討たれまい。」と言ったとも伝えられており、家康自身が幸村の死を信用していなかったようなのです。
そして、真田幸村のお墓と伝えられている墓石が鹿児島県南九州市に存在しているのです。当時は、薩摩藩の島津家の墓にしか使用されなかったと言われている高価な墓石で作られているのです。また、鹿児島には、真田幸村が1000人の家来を連れて逃げのびてきたという記録もあります。さらに、この地域には、六文銭の家紋を彫った墓石がいくつもあるんです。もっと言うと、当時の大坂でも、子供たちが唄った歌詞の中に、「幸村が秀頼を連れて薩摩におちた」というくだりもあるんです。ここまでくると、かなり信憑性の高い説のように思えてきます。
もしそうだとしたら、幕末に薩摩藩が江戸幕府を討幕したことは、ひょっとしたら幸村の子孫が250年以上も経って、大坂の借りを江戸で返したとも見れます。そう考えると、とても興味深い説ですね。