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事件の陰に隠れた「涙」とは・・・当事者たちの人間ドラマ
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目次
「事件の涙」ってどんな番組?
事件の陰に隠れた「涙」とは・・・当事者たちの人間ドラマ
「事件の涙」は、被害者・加害者、そして捜査陣などの「人間」にこだわって事件に潜む知られざる「物語」を徹底的に描き出していく新感覚のヒューマン・ドキュメンタリー番組です。NHKの持つ全国各地の取材ネットワーク網を駆使し、人々の記憶の残る事件や事故の当事者、その家族・恋人・親友など極めて近い人に改めて光をあて、怒り、悲しみ、思いもかけぬ温かさに触れて流した涙など、さまざまな涙に迫ります。
事件の涙の再放送は?
NHKドキュメンタリー「事件の涙」は、再放送されるのでしょうか?同番組のサイト内には、再放送に関する情報が掲載されていますが、不定期に放送されているようです。決まった再放送枠はないようですね。気になる方は、同番組ホームページでご確認下さい。
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>> NHK「事件の涙」の再放送は?見逃した動画を見る方法!
NHKオンデマンドは、NHKが放送した番組をブロードバンド回線を通じて、日本国内限定でPCやスマートフォン、タブレット、高機能TV等に有料で配信する動画サービスのことです。NHKオンデマンドは、見逃してしまった番組やニュース番組、そしてもう一度見たい過去に放送した番組を、いつでも好きな時間に視聴することができるというメリットがあります。ただし、NHK番組しか見ることができません。
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事件の涙「34年ごしの宿題~鹿川裕史くん“葬式ごっこ”事件~」
放 送 2020年3月2日(月)午後10時50分〜[NHK総合]
再放送 2020年3月22日(日)午前11時20分〜[NHK総合]
放送前の予告
34年前、ある男子生徒の机の上に同級生や教師が「さよなら」などと寄せ書きをした色紙を置く「葬式ごっこ」のいじめが起きました。13歳だった男子生徒は、その後も続いたいじめを苦に自殺しました。遺書に残された言葉を背負い、いじめと向き合っていた元新聞記者は、いじめがなくならないことに悲観し一度は取材をやめましたが、当時の担当弁護士が保管していた少年の遺書を目にしたことで、再びいじめと向き合い始めます。
【語り】井上あさひ
放送後のコメント[補足]
34年前の東京都中野区・富士見中学いじめ自殺事件を取材した元新聞記者・豊田充さんは、いじめを苦に自殺した少年の最後のお願いに対して応えられていない(=宿題が終わっていない)ことを悔やんでいます。当時の取材で「なぜ、教師たちはいじめを止めず、いじめに加わったのか?」という疑問に対し、教師たちは何も語らないままだったのです。
一方、被害者側の弁護を行った森田健二弁護士は、少年から死と引き換えに「いじめは俺の死で終りにして欲しい」というメッセージを託されたと受け止め、全国を回って800回以上の講演を行ってきましたが、いじめは無くならずに8年前に講演活動を終えました。やはり、敗北感を感じていました。
そんな二人が十数年ぶりに会いました。鹿川くんが残した遺書の実物を初めて見た豊田さんは、宿題を終わらせようと再び動き始めます。葬式ごっこに加わった4人の教師に手紙を送ったのです。そのうちの一人から「平穏な老後を送りたい」という理由で取材を断る返事が届きましたが、豊田さんはその元教師を訪問し、ようやく話が聞けました。その内容は以下のとおり。
なぜ葬式ごっこの色紙に言葉を書いたのか?
『軽い気持ちだった。生徒たちから頼まれたから仕方なく書いた。なんとなくふわって書いただけで深く考えることはしなかった。』
亡くなった裕史くんに対していま何を思うのか?
『死ななくてもよかったのになと思う。自殺が予測できなかった自分の愚かさはあるが、あれは予測できなかった。いじめがあったことは知っていた。学校全体で把握していた。』
この番組を視聴して・・・ひと言
この事件から34年経った今も、いじめ自殺はなくなりません。それどころか教師たちはいじめの現場を見過ごし、あるいは見て見ぬふりをし、さらには隠蔽するケースさえあります。34年間で何が変わったのか?鹿川裕史くんの死を無駄にしてはいけないと思います。
この事件にかかわった元新聞記者・豊田さんや森田弁護士も、裕史くんが死と引き換えに残した「いじめは終りにして欲しい」というお願いに応えることができないことに責任を感じ、悔しく思っています。
森田さんが元教師の一人から聞き出した言葉は、あまりにも軽率で無責任な内容で驚きました。いじめを知りながら対策を講じることもなく一人の少年を死に至らしめたことに対して悔いることもなく、今もなお自己を肯定している言葉は教師である前に人間としての資質を疑いたくなります。学校は、先生たち都合の良い器になっていて、子どもファーストとは程遠いものだったのです。そう思うと、怒りがこみ上げてきました。
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中野・富士見中学いじめ自殺事件
1986年2月1日、岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンターのトイレ内で、東京都中野区の富士見中学2年生の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見されました。遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明しました。いじめは日常的に行われており、「葬式ごっこ」なるいじめには加害者の生徒だけでなく教師も参加していました。
いじめ行為の内容
鹿川裕史君に対するいじめは、中学2年生になった頃から始まりました。主な内容は以下の通り。
- クラスメイトに使いっぱしりをさせられる
- プロレスごっこの投げられ役をさせられる
- フェルトペンで顔にヒゲを描かれ、廊下で踊らされる
- モデルガンの標的にされる
- 積み上げられたイスと机に閉じ込められる
- 野球拳を強要され服を脱がされる
その後は、徐々にいじめがエスカレートしていき、殴られたり蹴られたりという暴行にまで及んでいました。
また、「葬式ごっこ」では黒板の前に鹿川君の机が置かれ、飴玉やミカンが並べられ、遺影と見たてて鹿川君の写真と牛乳ビンにさした花も置かれていました。また、色紙には「鹿川君へ さようなら 2Aと その他一同より 昭和60年11月14日」と書かれ、クラスの生徒の署名や寄せ書きがありました。しかも、この葬式ごっこには担任ら4人の教師まで参加していました。
鹿川君は学校を休みがちになっていきます。家を出て学校に行かずに病院の待合室などで時間をつぶしていたそうです。鹿川君の父親が学校へ相談を持ちかけたり、加害者の生徒宅へ注意に行っていたそうですが、いじめがおさまることはありませんでした。
そして、1月31日に鹿川君は家を出たあと行方がわからなくなります。その頃、鹿川君がたどりついたのは、父親の実家がある岩手県の盛岡だったのです。鹿川君は盛岡市内をさまよい歩いた後、盛岡駅の駅ビルのトイレで首を吊ったのです。トイレの床には遺書が置かれていました。
鹿川君の遺書
『家の人へ そして友達へ
突然姿を消して申し訳ありません
(原因について)くわしい事については
・・・とか・・・とかにきけばわかると思う
俺だってまだ死にたくない。
だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ、
いみないじゃないか。
だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ、
最後のお願いだ。
昭和六十一年二月一日
鹿川裕史』