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NHKドキュメンタリー

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「街道をゆく」ってどんな番組?

作家・司馬遼太郎の同名作品を映像化し、
歴史や文化について思索するドキュメンタリー

司馬遼太郎の作家生活の中で3分の2もの年月を占めた連載「街道をゆく」。「日本人とは何か」「国家・文明・民族とは何か」と問い続けた彼の思索を映像化し、日本人がたどってきた道はどのようなもので、この先はどこへ向かうのかを考えていく。

日本国内だけでなく海外各地もその足で歩き、思索を重ねた作家・司馬遼太郎。美しい自然の姿と共に映像化したその考察と問い掛けは、見る人を強く引き込ませます。

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歴史に対する深い洞察力で数々の傑作小説を生み出してきた作家・司馬遼太郎原作による紀行番組「街道をゆく」の新シリーズBOX第1弾。司馬遼太郎の日本と世界の新しい道標を見出していく壮大な思索の旅を収録する。第1回から第24回を収録。

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歴史に対する深い洞察力で数々の傑作小説を生み出してきた作家・司馬遼太郎原作による紀行番組「街道をゆく」の新シリーズBOX第2弾。司馬遼太郎の日本と世界の新しい道標を見出していく壮大な思索の旅を収録する。第25回から最終第48回を収録。

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街道をゆく 全43巻セット 文庫

1.甲州街道、長州路ほか 2.韓のくに紀行 3.陸奥のみち、肥薩のみちほか 4.郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか 5.モンゴル紀行 6.沖縄・先島への道 7.大和・壺坂みちほか 8.熊野・古座街道、種子島みちほか 9.信州佐久平みちほか 10.羽州街道・佐渡のみち 11.肥前の諸街道 12.十津川街道 13.壱岐・対馬の道 14.南伊予・西土佐の道 15.北海道の諸道 16.叡山の諸道 17.島原半島、天草の諸道 18.越前の諸道 19.中国・江南のみち 20.中国・蜀と雲南のみち 21.神戸・横浜散歩、芸備の道 22.南蛮のみちI 23.南蛮のみちII 24.近江散歩、奈良散歩 25.中国・閩のみち 26.嵯峨散歩、仙台・石巻 27.因幡・伯耆のみち、檮原街道 28.耽羅紀行 29.秋田県散歩、飛騨紀行 30.愛蘭土紀行I 31.愛蘭土紀行II 32.阿波紀行、紀ノ川流域 33.白河・会津のみち、赤坂散歩 34.大徳寺散歩、中津・宇佐の道 35.オランダ紀行 36.本所深川散歩、神田界隈 37.本郷界隈 38.オホーツク街道 39.ニューヨーク散歩 40.台湾紀行 41.北のまほろば 42.三浦半島記 43.濃尾参州記

「街道をゆく」の再放送・見逃し動画配信は?

「街道をゆく」の再放送については不定期に放送されています。

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ユーネクストで配信中の作品は?

65作品 ※2023年12月21日現在

第1シリーズ 第1回 湖西のみち・韓のくに紀行

作家・司馬遼太郎が各地を訪ね歩き、四半世紀を費やして書き続けた「街道をゆく」。この長期にわたる思索の旅は、「日本民族はどこから来たのだろう」という問いから始まりました。日本民族のルーツを求めて、司馬はまず、琵琶湖畔の湖西の道から韓国へと渡りました。第1回は、「日本人とは何者か」「日本とはどういう国か」を問うために、司馬の足跡を追って近江と韓国を訪ねます。

第1シリーズ 第2回 モンゴル紀行

作家・司馬遼太郎が、幼い時からあこがれ続けていたモンゴル。初めて訪れたのは、日蒙国交回復から2年後の昭和48年(1973)でした。司馬はロシアのハバロフスク、イルクーツクから、モンゴルのウランバートル、南ゴビを巡り、東アジア全体からモンゴルの歴史と「遊牧という文明」を考察しました。第2回は、司馬の愛したモンゴルで、「奇跡的なほど欲望少なく生きている」人々の姿に、未来への可能性を見ます。

第1シリーズ 第3回 北のまほろば

かつて太宰治は故郷の津軽を「本州の袋小路」と形容して貧しさを嘆きましたが、作家・司馬遼太郎は「北のまほろば」と、豊かさをたたえました。また、津軽藩のコメ一辺倒政策の悲劇を憂い、「古代はよかった。中世も悪くなかった」と振り返りました。第3回は、司馬が旅した足跡をたどり、弘前市や三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を訪れ、古代から続く青森の歴史を通して、社会のあるべき姿の原型を青森の四季に重ねます。

第1シリーズ 第4回 南蛮のみち

作家・司馬遼太郎は、日本の在来文化を多彩にし、刺激を与えてくれた南蛮渡来の文化に感謝の念を抱いていました。その代表者がバスク人のキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルでした。ザビエルは日本人の小気味の良さに好感を持ちます。司馬はその理由を求めて、バスクを旅しました。第4回は、ザビエルが学生時代を送ったパリから、フランスとスペインにまたがるバスク地方に向かいます。

第1シリーズ 第5回 長州路・肥薩のみち

明治維新はなぜ達成されたのか。そして、長州と薩摩はなぜ維新の原動力となりえたのか。その答に迫ろうとして、作家・司馬遼太郎は、長州路と肥薩(ひさつ・肥後と薩摩)の道を歩きました。司馬は江戸時代の諸藩がそれぞれに培っていた個性と多様性に着目し、とりわけ長州と薩摩の強烈な独自性に眼を向けました。第5回は、この二つの道をたどり、維新を成し遂げた幕末の志士たちを通して描く日本の風土論です。

第1シリーズ 第6回 本郷界隈

バブル崩壊直後、晩年の作家・司馬遼太郎は、東京という怪物的空間と向き合うために、東京大学のある本郷を訪れました。司馬は本郷を西洋文明の受容と分配を担った「配電盤」と位置づけ、維新直後の明治に思いをはせました。旅の道連れは、明治の初め、配電盤の電流となるべく歩み始めた帝大生・夏目漱石。第6回は、司馬の足跡をたどりながら、本郷を舞台に、若き日の夏目漱石を通して明治という時代を浮き彫りにします。

第2シリーズ 第1回 オランダ紀行

江戸時代、鎖国という情報統制の中で、長崎出島オランダ商館から伝えられた西洋文明。作家・司馬遼太郎は、「暗箱のような日本に射(さ)し込んでいた唯一の外光」だと記しています。その光源である17世紀オランダの姿と国の成り立ち、そして、日本との関係を探るべく、平成元年(1989)、司馬はオランダに渡りました。第一回は、かつて日本に多大な影響を与えたオランダの歴史と文化に迫ります。

第2シリーズ 第2回 沖縄・先島への道

島津藩の琉球侵略、明治政府の琉球処分、太平洋戦争の陰惨な地上戦へと続く歴史をたどった沖縄。作家・司馬遼太郎は、沖縄問題という「大きな棘(とげ)」を胸中に秘め、沖縄の本土復帰から2年後の昭和49年(1974)、沖縄先島諸島を訪ねました。第二回は、「原倭人(げんわじん)」にこだわった司馬の旅の足跡をたどり、今もたくましく生きる沖縄の人々や風姿を通して、日本という国家を問い直します。

第2シリーズ 第3回 奥州白河・会津のみち

「なにから書き始めていいかわからないほどに、この藩についての思いが濃い」と、作家・司馬遼太郎が深い感慨を覚えた会津。古来、都人(みやこびと)があこがれた地であり、また一方では、多くの悲劇を味わった土地でもありました。司馬は、幕末の会津藩がたどった末路に強い同情を抱いていました。第三回は、奥州白河・会津を訪ねて、中央政権と向かい合って生きた奥州白河・会津の人々の真摯(しんし)な姿を追い求めます。

第2シリーズ 第4回 オホーツク街道

およそ1000年前、稚内(わっかない)から根室にかけてのオホーツク海沿岸に、謎の海獣狩猟民族「オホーツク人」が数百年にわたって暮らしていました。作家・司馬遼太郎は、オホーツク人の存在が初めて明らかにされた網走(あばしり)のモヨロ貝塚を起点に、彼らの住んでいた地を巡り、その痕跡を見つめました。第四回は、北の大地に広がる海獣狩猟民族と文化から、多民族国家・日本の姿を探ります。

第2シリーズ 第5回 十津川街道

奈良県の最南端、紀伊半島のほぼ中央にある十津川村。70もの1000メートル級の山々に抱かれた山里です。作家・司馬遼太郎は、十津川村の特異な歴史に注目しました。この地の人々は「免租」という特権を守るために、保元の乱、大坂の陣、明治維新など、戦乱のたびに中央に兵を繰り出してきました。なぜ、十津川村はこのような歴史をたどったのか。第五回は、山深い秘境に足を踏み入れ、十津川村の歴史をひもときます。

第2シリーズ 第6回 愛蘭土(あいるらんど)紀行

作家・司馬遼太郎が「シーザーも来なかった島」と記したアイルランド。貪(どん)欲な征服者ですら顧みなかった辺境の地という意味です。しかし、この風土と歴史こそが、古代ケルト民族固有の創造性を受け継がせ、不屈の負けじ魂や独立心を育てたのです。第六回は、司馬が強い関心を抱き続けたアイルランドに渡り、この国の悲痛な歴史とアイルランド人の孤高の精神を凝視します。

第3シリーズ 第1回 三浦半島記

「鎌倉幕府がもしつくられなければ、その後の日本史は二流の歴史だったろう」と司馬遼太郎は書いています。武士という大いなる農民が政権を取り、自ら開墾し、農地の所有を確かなものにした時代の舞台である、古都・鎌倉が中心の三浦半島を訪ねます。司馬の足跡をたどりながら、鎌倉武士が貫いた「名こそ惜しけれ」という倫理観に基づく“潔い生き方”を育んだ、この地の風土を描きます。

第3シリーズ 第2回 飛騨紀行

農家を見たいという思いに駆られて、匠(たくみ)の国・飛騨を訪れた司馬遼太郎。司馬が歩いた岐阜の道をたどります。飛騨は江戸時代初期、さまざまな仕事で多くの職人が活躍し、名人・左甚五郎の伝説とともに、最も活気にあふれていた時であったと司馬は言います。「京都よりも京都ではないか」と司馬が書く飛騨高山から「みごとなほど、気品と古格(こかく)がある町並み」の古川町へ向かい、山あいに生きる人々を訪ねます。

第3シリーズ 第3回 奈良散歩

千数百年にわたり、数多くの優れた建造物を守り抜いてきた奈良。「このまちの精神というものに、敬意をささげるべきではないか」と書く司馬遼太郎の足跡をたどります。興福寺・薬師寺・唐招提(だい)寺ほか、数々の歴史的建造物や千二百年以上も続く東大寺のお水取りで知られる「修二会」(しゅにえ)の様子など、変わり行く世の中で「うつろわぬものがあるという安堵(ど)感」を与えてくれる悠久の古都・奈良を訪ねます。

第3シリーズ 第4回 仙台・石巻

豊臣秀吉が築いた桃山様式を仙台藩に取り入れた伊達政宗。「旧仙台藩領、いまはほぼ宮城県。この地の近世の原型は、政宗がつくったとしか思えない」と書く司馬遼太郎は、大崎八幡宮・瑞巌(ずいがん)寺など、「綺麗(きれい)がありながら下品ではない」桃山様式を探勝します。司馬が訪れ、「世界のどの市にもない造形的な美しさを持つ」と書く仙台の近代文化の基礎を築いた政宗の功績と、そこに生きる人々を訪ねます。

第3シリーズ 第5回 中津・宇佐のみち

豊の国(大分県)から起きたと言う八幡神信仰。司馬遼太郎は、武神として知られるこの神がもともとは農業神であり、奈良時代に神託を下す神として天皇の宮廷に入ったことを解き明かします。司馬が訪れ、「沸き上がる雲のような森に包まれ容易に古代に入ることができる」と形容する薦(こも)神社や「落葉の一枚ずつが無数の紫の影をつくって木漏れ日の中で輝く印象派絵画の世界」と書く八幡総本宮・宇佐神宮を訪ねます。

第3シリーズ 第6回 本所深川散歩

映画「男はつらいよ」に出てくるような日本人は、現実にいるのでしょうか。司馬遼太郎は、その答を探しに「江戸っ子の産地」、本所・深川を訪れます。かつて勝海舟や三遊亭円朝、黙阿弥(もくあみ)らが暮らした所です。番組は、木場の筏(いかだ)師、永代橋の鳶(とび)の頭、辰巳(たつみ)芸者など、ここに暮らす人々を訪ね、“ひと肌脱ぐ”気っぷのよさと“義理人情”に厚い日本人の姿に迫ります。

第3シリーズ 第7回 南伊予・西土佐の道

司馬遼太郎は、代表作「坂の上の雲」の舞台・伊予(愛媛県)について、「伊予は愛比売(えひめ)で、文字どおりいい女という意味である。いい女などという行政区の名称は、世界中にないのではないか」と言う思いを抱いていました。司馬が訪れた伊予路をたどり、明治時代に建築された日本最古の小学校・解明小学校や寄り合い酒の風習が残る宇和島へ。さらに、シーボルト・イネ、村田蔵六(大村益次郎)などの事跡を訪ねます。

第3シリーズ 第8回 明石海峡と淡路みち

司馬遼太郎が「古代以来の気分の温もりが十分保たれている」と書く兵庫県明石の林崎と淡路島の漁村を訪ねます。司馬は、ここで続く一本釣りなど「変わらない個人的漁業」の形を手がかりに、漁業の本質を解き明かそうとしました。番組は、「中世の人々が西方浄土を想像したことがわかるような気がする、明石海峡の波の上から見た落日」など、壮麗な瀬戸内の風景を堪能し、日本人と海との関係を再構築した司馬の足跡をたどります。

第3シリーズ 第9回 島原・天草の諸道

「島原の乱の本質は、領主に追いつめられた農民の絶望的な反乱」と書く司馬遼太郎は、その農民たちは「日常生活に儀礼をもっていた武士」の末裔(えい)であり、その面影は今も島原・天草の人々の生活の中に生きているとも書いています。番組は、司馬が訪れた島原・天草の地を歩き、この反乱で犠牲になった人々に思いを馳(は)せながら、この美しい風景に秘められた歴史の重みをかみしめます。

第3シリーズ 第10回 北海道の諸道

司馬遼太郎は「稲作文化的な画一的ローラーから北海道はまぬがれることが出来、アイヌとその文化という非稲作的要素を残すことになった」と書いています。しかし、江戸時代以降、この地に進出した稲作文化勢力の松前藩が、画一的な中央志向を持ち込んでしまいました。番組は司馬の足跡をもとに松前・江差・函館・札幌を訪れ、アイヌ民族の狩猟文化・江戸期の稲作文化・北欧型牧畜文化などが交錯した北の大地を描きます。

第3シリーズ 第11回 越前の諸道

「日本書紀に、継体天皇というふしぎな存在が出てくる。この人はいまの福井県(越前)に住んでいた。越前人が倭(わ)政権の首長になったということは、尋常ならざるできごとといっていい」と書く司馬遼太郎。古代、越前は大陸の文化を受け入れる窓口の一つであり、越前の文化の根の深さが鎌倉時代、最新の思想である道元の曹洞宗を根づかせました。番組は司馬の足跡をもとに越前の街道を訪ね、歴史的背景を探ります。

第3シリーズ 第12回 大徳寺散歩

司馬遼太郎は、京都・大徳寺を「日本の住居建築と庭の精粋」と賞賛し、「紙障子による採光のすばらしさと庭園の美意識では日本人は世界一ではないか」と書いています。さらに、この寺の一休禅師が活躍した室町時代こそが日本文化の形成期であり、室町時代がなければ日本文化はつまらないものになっていただろうとも書いています。番組は、室町の美学が深く息づく大徳寺を訪ね、司馬が著わす日本文化の奥深さを堪能します。

第3シリーズ 第13回 信州佐久平みち

「信州は鎌倉以来、上方圏に属せず関東圏に属し、交通網もそのようになっている」という作家・司馬遼太郎は、木曾義仲が挙兵後に信州佐久平を根拠地としたのは、この地が交通の便がよく兵馬の招集に適していたからであるとする。そして、さまざまな情報を伝えた捨聖一遍がこの地に足跡を残したことも、近代以前の信州が交通至便の地であったことに起因するという。

第3シリーズ 第14回 種子島みち

種子島に旅した司馬遼太郎は、熊野焼という古窯や、現役で使われている丸木舟の存在に、海上交通を媒体としたこの島と紀州とのつながりを想定した。さらに島から出土した鉄製の釣り針から、種子島には鉄砲伝来より前から、製鉄技術があり、それが鉄砲の伝来と受容を容易にした、と推理する。

第3シリーズ 第15回 叡山の諸道

舞台は比叡山。三塔十六谷に三千坊の僧房があったといわれる山の中に、作家・司馬遼太郎は分け入った。そして、この地に生まれた最澄が天台宗を興したのち、全山が学生の修行研究の場となり、かつての奈良仏教がもっていた差別という欠陥を排し「人間も草木もみな平等に成仏するという多分に日本風の思想」を普及させていく源泉となった叡山の歴史と地勢に触れていく。

第3シリーズ 第16回 因幡・伯耆のみち

「鳥取藩の産業は上手な美術工芸ではなく、もっと実質的でずっしりと持ち重りのするものだった。鉄である。」こう書いて鳥取藩の旧領、因幡・伯耆の地へ旅だった作家・司馬遼太郎は、古代から現代に至るまで、この地が鉄と米とのせめぎあいによって、文化をはぐくんできた土地であることを検証していく。

第3シリーズ 第17回 紀ノ川流域

紀州・風吹峠の根来寺は、境内が清らかで「吹く風までがたたごとではない」という作家・司馬遼太郎は、紀ノ川を辿って「紀州文化の頂点というべき」根来寺へと向かう。往年の根来寺は、織田信長の焼き討ちにより焼失しその姿をとどめていない。根来塗り、雑賀鉢などいにしえの栄華をしのばせる品々を手がかりに、「中世像の光源」であるともいわれる根来寺と紀ノ川流域の風土をつづる。

第3シリーズ 第18回 阿波紀行

鳴門から祖谷まで阿波一国を貫く吉野川沿いを旅しながら、作家・司馬遼太郎が見つめた阿波独特の文化と風土を紹介する。大鳴門橋から見た鳴門海峡の渦潮の雄大な景観、江戸時代の阿波の漁師たちの拠点・堂浦。京都文化の影響の下に成立した阿波踊り、町衆たちによって受け継がれてきた脇町の江戸時代さながらの家並み、平家村と呼ばれる秘境・祖谷の渓流にかかるかづら橋などなどを辿る。

第3シリーズ 第19回 甲州街道

東京が武蔵国と呼ばれた時代、その西の辺境に突如騎馬集団が生まれた。朝鮮半島から渡来してきた彼らは、後に日本の“武”歴史を作り出した板東武者へと成長していく。徳川家康によって組織され幕府崩壊まで忠誠をつくした「八王子千人同心」や、甲州街道沿いの小さな剣術道場から産声をあげ、動乱の幕末を駆け抜けた「新撰組」など、板東武者の成り立ちから終えんまでの系譜をたどる。

第3シリーズ 第20回 神戸散歩

日本の大都市のなかで、横浜とともに例外的に城下町の伝統がなく、幕末の外国人居留地の文化だけが粗型である神戸の市民には、自由と自治の精神が身についていると司馬遼太郎はいう。神戸の水源地・布引の滝、外国人墓地、在日朝鮮人の実業家が私費で運営している図書館「青丘文庫」などを訪ねながら、神戸の都市の原形と自由な精神に触れてゆく。

第3シリーズ 第21回 神田界隈

「神田界隈は、世界でも有数な物学びのまちといっていい。江戸時代からそうだった・・・」そう記した作家・司馬遼太郎の神田をめぐる旅は、一ツ橋に始まり湯島聖堂、ニコライ堂の坂、神保町から神田駿河台へと向かう。そして文豪夏目漱石、岩波書店の岩波茂雄、さらに長谷川如是閑まで。司馬遼太郎は近代日本の学問・文化の“電源”としての神田の意味を確かめていく。

第3シリーズ 第22回 播州揖保川・室津みち

兵庫県姫路市の東、中国山地から播磨灘へ流れる揖保川。作家・司馬遼太郎の旅は、最上流に近い伊和郷から川沿いを南に下り、龍野市を経て港町室津へと向かう。古代の稲作集団が本拠とした伊和、「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の出身地で中世の山城で有名な龍野、遣唐使船の寄港地となった室津。播磨出身の歌人・安田章生氏が同行し、歴史の影の部分に置かれていた播州に新たな光を当てる。

第3シリーズ 第23回 郡上・白川街道と越中諸道

岐阜県西部の長良川沿いを北上し、白川郷を経て富山県に入り庄川沿いを下って富山市にいたる旅。作家・司馬遼太郎は、中世から近世にかけての日本人が持っていた文化のきらびやかさ、豊かさを山中の古街道ぞいの山里をたどることで再発見している。

第3シリーズ 第24回 竹内街道 葛城みち

奈良・天理から、石上神社とそのご神体・三輪山に発して、生駒山地を越え竹内峠を越える竹内街道。そして竹内峠を山沿いに下り、葛城山と金剛山麓を南下する葛城みち。神々の物語や、古代大和政権を担った豪族たちの本拠地であったこの二つのみちで作家・司馬遼太郎は、日本という国が成立していく過程や、古代日本文化の源流に思いを馳せる。

第3シリーズ 第25回 芸備のみち

現在の広島にあたる安芸と備後の国。勝田から郡山城址と猿掛城址を経て吉田町、三次に至る街道をたどりながら、司馬遼太郎は戦国時代に毛利元就がその勢力を拡大していく基盤を芸備の風土の中にを確認していく。

第3シリーズ 第26回 熊野・古座街道 大和丹生川(西吉野)街道

和歌山県熊野地方の周参見(すさみ)から内陸を抜け古座までいたる古座街道。そして奈良県吉野地方の下市から黒淵にいたる丹生川街道。作家・司馬遼太郎は、太古から継承されていた習俗である「若衆組」の伝統が残されていると聞いた熊野に足を運び、そこから足をのばし「若衆組」の伝統を色濃く残すもう一つの地、奈良の丹生川街道に入る。

第3シリーズ 第27回 高野山みち

作家・司馬遼太郎が25年にわたり、週刊誌に連載した「街道をゆく」を映像化。われわれが歩んできた道はどういう道で、その道がどこへ向かおうとしているのかを考えます。 許諾が得られなかったため、一部映像と音声を編集して配信します。

第3シリーズ 第28回 甲賀と伊賀のみち

三重県・伊賀上野から、伊賀と甲賀の地を分ける御斎峠を抜け信楽の紫香楽宮址を経て、滋賀県の瀬田へと向かう旅。小説「梟の城」を書いた作家司馬遼太郎は、その舞台として描いた土地をふたたび訪ねた。忍者として有名な「伊賀衆」「甲賀衆」が、室町時代から戦国・江戸時代にかけて大名同士のさまざまな抗争の中で揺れ動いて行く姿を、二つの土地の風土を比べることによって再確認していく。

第3シリーズ 第29回 壱岐・対馬の道

朝鮮半島と日本との間に位置し、古来、日韓両国の歴史的な舞台であった二つの島を訪ねる旅。作家・司馬遼太郎は、国境というメガネをはずし大陸と日本列島、二つの大地にはさまれた小さな島という視点で壱岐と対馬を見る。特に「鉄」という文明を生み出す産品に注目する。

第3シリーズ 第30回 赤坂散歩

「東京について書きたいが、まず巨大すぎる。変遷の歴史が、他の都市にないほど大きい。」と考えていた作家・司馬遼太郎が、最初に選んだ場所が赤坂だった。徳川家ゆかりの氷川神社、高橋是清や乃木希典の旧邸宅そして山王権現。数々の神社や坂道の歴史をたどりながら、江戸から明治期にいたる赤坂の人と土地の風情を描く。

第3シリーズ 第31回 河内みち

自身が居住する大阪南部・河内地方の旅の中で、作家・司馬遼太郎は、富田林市と河内長野市の高貴寺、広川寺、観心寺を訪ねている。司馬は特に大和川流域の湿地帯に広がるこの米作地帯で、農民自身の発想と献身によって成り立つ相互社会的農村の豊かな暮らしに注目する。

第3シリーズ 第32回 羽州街道

最上川沿いに羽州街道と呼ばれる道を天童・山形・米沢へと旅する。紅花で有名な山形、そして米沢では、関ヶ原での敗戦により米沢に移された上杉景勝と、景勝の下で名家老と呼ばれた直江兼続、そして江戸時代後期に、貧窮した米沢藩を独自の財政策によって救った上杉鷹山の功績に思いをはせる。

第3シリーズ 第33回 豊後・日田街道

大分県の内陸をゆく旅。「湯布」の語源であるといわれる「木綿」に関する思索に始まるこの旅で、作家・司馬遼太郎は道中の見事な杉並木、湯布院の牛、長者原の火山などの自然を心ゆくまで堪能する。そして終着点の日田では、江戸時代に中央から隔離された場所でありながら「天領」とされていたこの地の豊かさを描いていく。

第3シリーズ 第34回 嵯峨散歩 洛北諸道

京都嵯峨野と、北都の山国・鞍馬・周山の諸街道という二つの原作の旅。この旅で作家・司馬遼太郎は、嵯峨野では、水尾の里から渡月橋、天龍寺そして車折神社までを訪ねる。洛北諸道では、火祭りで知られる鞍馬の里を訪ね、鞍馬寺の傭兵として活躍した僧兵や山伏たちに思いをはせる。

第3シリーズ 第35回 佐渡のみち

海と空の玄関口・両津から島を縦断し真野湾にいたる「国なかみち」と、佐渡鉱山から島の南西の海岸沿いを最南端の小木までいたる「小木街道」その二つの道を旅する。古来、ひとつの「国」としての扱いを受け、大陸や日本海航路の要衝に位置する佐渡の歴史を、江戸期の金山開発を中心に描く。

第3シリーズ 第36回 丹波篠山街道

京都・長岡京から「老ノ坂峠」を越え、丹波亀岡を経て兵庫県・篠山さらに三田まで。京の都や神戸への裏道にあたるこれらの地域で営まれてきたさまざまな歴史のドラマを振り返る。

第3シリーズ 第37回 耽羅紀行

東シナ海に浮かぶかって「耽羅」と呼ばれた韓国・済州島。古来、日本、朝鮮、中国の三国を結ぶ海路の要衝にあったこの島を舞台に、新羅時代から現代にいたるまで繰り広げられてきた文化交流、侵略の歴史をたどる。

第3シリーズ 第38回 近江散歩

日本の東国と西国の境にあり、特に戦国時代関ヶ原の合戦の舞台ともなりさまざまな歴史のドラマが刻まれた旧近江の国、滋賀県を旅する。この地で作家・司馬遼太郎は、近江と美濃の国・両方に属する「寝物語」という珍しい村、近江商人の気質を今に伝える伊吹山ろくの山々や、浅井長政の悲劇の舞台となった姉川などを訪れる。

第3シリーズ 第39回 堺・紀州街道 大和・壺坂みち

安土桃山時代を文化的なきらめきの時代としてとらえる、作家・司馬遼太郎。「中世末期に自由都市として栄えた堺というのは、日本史における宝石のような存在である。」その堺を手に入れようとした織田信長と、堺を代表する茶の湯の文化、そして千利休ゆかりの南宋禅寺などを訪ねる。時代の表舞台にあった堺と対照的な静けさにある壺坂では、古代だけではない大和の中世の魅力に迫る。

第3シリーズ 第40回 ニューヨーク散歩

シリーズの中で唯一アメリカを旅した作品。二度目のニューヨーク行きとなったこの旅で作家・司馬遼太郎は、ブルックリン橋を造ったジョン・ローブリング、江戸末期に来日したタウンゼント・ハリスらの足跡を追う。そして日本学の世界的な研究者であるドナルド・キーン氏と交流を深めながら、マンハッタンの片隅でこの街の歴史をたどり、ブルックリンの街角で海を越え日本とかかわった人々に思いをめぐらす。

第3シリーズ 第41回 横浜散歩

1859年(安政6年)、幕府と領事ハリスとの交渉の末、日米修好通商条約によって開港された横浜。「横浜には旧幕時代という歴史があり、この点神戸と違っている。」と見る作家・司馬遼太郎。吉田橋から浜の旧居留地、新港埠頭の赤レンガ倉庫、桟橋に係留されている氷川丸などを訪ねながら、横浜を舞台にくりひろげられた日本近代の夜明けの激動を描く。

第3シリーズ 第42回 中国・江南のみち

作家・司馬遼太郎にとって中国は、日本をはじめとする東アジア諸国に文明の光を当て続けてきた巨大な灯台であった。「街道をゆく」の中国本土編は全部で3巻。第1回は江蘇省・蘇州から随の大運河を経て、浙江省・杭州、紹興、会稽山から、港町・寧波にいたる中国中央沿海部の旅。

第3シリーズ 第43回 中国・蜀のみち

三国時代の蜀の国があった四川省は、黄河中流域の中原とは一線を画した地域で、古代から異質の文明が存在し文化的にも気質的にも中央に対する独立性を持っていた。作家・司馬遼太郎は、省都・成都とその周辺地域を旅する。そして中央に立ち向かった代表として、諸葛孔明、杜甫などの足跡をたどりながら独特の文明観を提示していく。

第3シリーズ 第44回 中国・ビンのみち

作家・司馬遼太郎が25年にわたり、週刊誌に連載した「街道をゆく」を映像化。われわれが歩んできた道はどういう道で、その道がどこへ向かおうとしているのかを考えます。 許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。

第3シリーズ 第45回 中国・雲南のみち

作家・司馬遼太郎が25年にわたり、週刊誌に連載した「街道をゆく」を映像化。われわれが歩んできた道はどういう道で、その道がどこへ向かおうとしているのかを考えます。 許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。

第3シリーズ 第46回 北国街道とその脇街道

日本一広い湖・琵琶湖。その北岸の滋賀県・海津から北進し、福井県敦賀から武生に入り、「北国街道」を滋賀県・木之本まで至る旅。海津は、古代から畿内に日本海側からの物資を受け入れる湖港として発展し、太平洋航路の開拓とともにさびれた漁村。敦賀では、幕末の「水戸天狗党」の大弾圧の現場を訪ねる。旅の最後は北国街道を通って滋賀県・木之本にある賤ヶ岳の古戦場を訪れる。

第3シリーズ 第47回 肥前の諸街道

旧肥前の国(佐賀県と長崎県)と福岡県の日本海沿岸の地を訪ねた作家・司馬遼太郎は、鎌倉時代の「元寇」から話をひもとき、倭寇としても活動した松浦党の根拠地・佐賀県呼子へ向かう。さらに長崎県を訪ね、日本に南蛮文化とキリスト教をもたらしたポルトガル人の活動と日本人との交流を軸に、海外からの新鮮な風を受けて変容していった日本の姿を描く。

第3シリーズ 第48回 濃尾参州記(最終回)

昭和46年に始まった「街道をゆく」は、平成8年2月作家・司馬遼太郎の急逝で幕を閉じられることになった。その最後の作品が、未完に終わった「濃尾参州記」である。美濃、三河、尾張の3地域を訪ねたこの旅では「桶狭間古戦場」へと向かう道をたどりつつ、織田信長と今川義元を思い松平郷で徳川家康の生涯を考える。筆はまさに「家康の本質」の項で置かれている。

総集編

1年間、全48回とBSスペシャル3回にわたって放送してきた「街道をゆく」。その中から名場面と名朗読を選りすぐって再編集した総集編。

新 街道をゆく「北のまほろば」

2022年8月に放送した「三浦半島記」に続く第二弾。今回は、司馬さんが終生深い思い入れを抱き、亡くなる2年前の1994年に旅して記した、青森の「北のまほろば」を取り上げる。なぜ司馬さんは、本州最北の地である青森を、物成がよく豊かな土地を意味する「まほろば」と呼んだのか。縄文の巨大遺跡から幻の中世都市、津軽が生んだ芸術家である太宰や棟方…。厳冬の津軽半島を舞台に、司馬さんの足跡をたどる。

新 街道をゆく「奈良散歩」

これまで放送した「三浦半島記」「北のまほろば」に続く第3弾。今回は、女優の高島礼子さんとともに、奈良市街を巡る。1270年以上続く修二会(お水取り)の舞台・東大寺では、NHKが長年撮影してきた映像もふんだんに使用し、二月堂の深遠な世界を堪能する。国宝・阿修羅像をはじめ「どの一点を抜いても日本美術史は光度を失う」と司馬が評した仏像たちが並ぶ興福寺では、この寺が乗り越えてきた数奇な運命をたどる。

新 街道をゆく「近江散歩・湖西のみち」

「近江を制する者は、天下を制する」。信長に秀吉に家康…。あまたの戦国の英雄たちが、この近江を駆け抜け、天下に名をはせていった。琵琶湖の東と西には、対照的な世界が広がる。のびやかな平野が広がる「湖東」と、隠れ里のような空気すらただよう「湖西」。そこに日本人の原風景を見いだした司馬の言葉を手に、門脇麦がその世界を体感していく。

新 街道をゆく「肥薩のみち」

古代大和朝廷の時代より「熊襲(くまそ)」と「隼人(はやと)」という独立性の高いふたつの民が暮らしていたと記録に残る「肥後」と「薩摩」。このふたつの地は、江戸から幕末、そして明治にかけて対照的な歴史をたどる。江戸時代、島津氏のもと独自の気風を養い、明治維新、西南戦争へと突き進んでいった「薩摩」と、それを抑え込む働きを与えられた「肥後」。この因縁の地を、かつて大河ドラマで西郷を演じた吉川晃司がめぐる。

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