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ETV特集

フロイド・シュモーとは?ETV特集・アメリカと被爆者 第1回の再放送・動画配信は?

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「ETV特集」ってどんな番組?

ETV特集』は、さまざまな社会問題を取り上げるNHKのドキュメンタリー番組です。考えるヒントを提供する「心の図書館」であることを目指して制作されているそうです。放送は、Eテレ 毎週土曜日午後11時~です。

日曜日の午後9時~NHK総合で放送される『NHKスペシャル』が、科学・医療・社会・自然・災害・スポーツなどの幅広い分野の旬の話題を取り上げているのに対して、『ETV特集』は社会の闇に光を当てるようなちょっとマイナーな社会問題をテーマとして、問題を浮き彫りにしていく番組です。そこには、まだ世の中で十分な認識がされていない盲点とも言える問題が隠されている可能性があります。

私たちが暮らしている社会の中で大きく問題になっていることは、新聞やニュース番組で大きく取り上げられますが、世の中のちょっとした「ほころび」は、なかなか目に留まらないものです。そんな見過ごしてしまいそうな問題、でも放っておくと将来大きな火種になるかもしれない社会問題を取り上げてくれる番組です。私にとっては、知識に幅を持たせてくれる「とってもためになる番組」です。

ETV特集の再放送・見逃し動画配信は?

ETV特集』の再放送は、Eテレ 毎週木曜日午前0時(水曜日の深夜)から放送されます。もちろん、スポーツイベントや選挙、その他重大事件の報道などで変更されることもありますので、同番組ホームページでご確認ください。

でも、放送時間に制約されずに好きな時に見たい・・・なんていう場合には、動画配信サービスがオススメです。ETV特集」の見逃し動画は「NHKオンデマンド」や「ユーネクスト」で配信されています。ただし、全ての放送回が配信されるわけではありません。また、配信期間は約2週間となります。

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ETV特集 シリーズ アメリカと被爆者 第1回「シュモーさんを探して」

放送  2018年8月4日(土)午後11時~
再放送 2018年8月9日(木)午前0時~(水曜日の深夜)

放送前の予告

1949年、被爆地・広島で、被災者のために家を建てたアメリカ人のフロイド・シュモー。参加した日米のボランティアの証言や発掘した新資料から知られざる生涯に迫ります。

原爆投下から4年後の広島。家を失った人々のため、日米のボランティアが住宅の建設をはじめました。率いたのは、アメリカ人のフロイド・シュモー。多くの手紙で資金を募り、協力を呼びかけました。そのなかには昭和天皇宛の書簡もありました。彼をつき動かしたものはなんだったのでしょうか。アメリカに残された資料と関係者の証言から、戦争の犠牲となった市民のために活動を続け、平和を求めたシュモーの姿を明らかにしていきます。

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フロイド・シュモーのプロフィール

アメリカ合衆国の森林学者、自然学者、著作家、クエーカー教徒の平和主義者。ほぼ20世紀全般を通した平和活動で知られ、第二次世界大戦中は、強制収容された日系アメリカ人への支援、戦後は広島の復興への支援を行いました。

フロイド・シュモーは、アメリカ・カンザス州の農場に生まれ、両親からの命の大切さを教えられて育ちました。戦争ごっこで遊ぶシュモーに、母はこう言ったそうです。 「そんな遊びやめなさい。人の命はなによりも大切なものよ、戦争はそれを一瞬で奪ってしまうの、わかった?」

シュモーが19歳の時、第一次世界大戦が勃発。 彼は母の教えから、銃を持たない部署を希望し後方支援に回っていたのですが、戦場では銃を持っていようがいまいが、常に死の恐怖と隣り合わせだったのです。そんな中でシュモーは、心から戦争を憎むようになっていきました。第一次世界大戦が終わると、高校の同級生だったルスと結婚。 森に囲まれた農場で育った経験から、ワシントン大学で森林生物学を教えていました。しかし、1941年、太平洋戦争が勃発し、大学内では日系職員や学生が連行され、彼らにアメリカ西海岸からの退去命令が下され従わない者は強制収容されると、シュモーは日系人の強制収容ついて抗議します。しかし、相手にされませんでした。

その後、シュモーは、自ら大学を退職し、新たに日系人の支援団体に就職。 当時、西海岸を離れれば強制収容を免れることができたため、アメリカ中東部で日系人を受け入れてくれる職場や学校を探しました。また、自然に囲まれて育ったシュモーは、大工仕事が得意だったので、略奪や破壊にあっていた日系人の住宅の一軒一軒を修復して回りました。さらに、強制収容所を慰問し、希望を失いつつある日系人を慰めました。

そんな活動が3年続いたある日、広島に原子爆弾が投下されました。熱線や熱風、放射能で10万以上の命が一瞬にして奪われ、街は焼け野原と化したのです。大統領は、原爆投下には戦争を早く終わらせる効果があるだろうと演説。その言葉通り、9日後に日本は降伏、アメリカは祝賀ムードに包まれていました。しかし、「どんな理由があろうと、10万人もの人々が犠牲になっていいはずがない」と、シュモーはある決断をしたのです。

それは、広島に家を建てるというものでした。そして、そのための寄付を募ったのですが、人々の理解は得られませんでした。そこで、シュモーはアメリカ政府や軍、日本の牧師や広島市長などに手紙を書き、広島に家を建てることの意義を伝え続けました。救援物資を送った日本の青年への手紙には、こう書かれていました。
『この家は、単に戦争中に焼失した何百万もの家の中の一軒に代わるだけのものというのではなく、わたしたちの想いのしるし、象徴となるはずです。』『私たちの愛の家は広島のためのものです。』

さらに、建築資金を集めるために、毎日、募金活動を続けました。そして、少しづつ賛同する仲間も増えていき、活動を始めて4年、集まった募金額は4000ドル。 現代の価格にして、1400万円にのぼりました。そして、原爆投下から4年後の8月。 広島の地にシュモーたちの姿がありました。粘り強い交渉が実を結び、アメリカ軍が渡航を許可。 同時に広島市も、彼らに土地を提供したのです。建築には、彼らに賛同した日本の学生も参加。 日本人大工も1人加わり、日本家屋2棟の完成を目指しました。そして、建築現場にたてられた看板には英語で建設の理念が書き込まれていました。『共に家を建て 互いに理解を深めることで平和が訪れますように』

こうして家作りが始まりまし。市内の教会に寝泊まりしながら、週に6日の作業。54歳のシュモー本人も、若者と同じ量の仕事をこなしました。しかし、ときには「原爆を落としたアメリカ人め!家族を返せ!」と罵声を浴びせられることもありました。それでも、どんなことを言われようと、今できることを精一杯やるしかなかったのです。やがて、地元の人々が作業を手伝ってくれるようになっていきました。誰もがシュモーの家の完成を待っていました。そして、4人の外国人が日本に来て2ヶ月後、ついに2棟の家が完成しました。無謀と言われたシュモーの思いが実現した瞬間でした。家は広島市に寄贈され、くじ引きで入居者が決められました。名称は、地名にちなんで『みなみ平和住宅』となりました。

シュモーたちは、翌年からも4年続けて来日。 広島に21軒の家を建てたあと、長崎にも多くの家を建築。残念ながら、その家の多くは老朽化のため、現在は取り壊されています。でも、広島に一軒だけ現存するものがあります。『シュモーハウス』と名付けられた家、当時の壁がそのままの状態で一部だけ残されています。現在はシュモーの功績を伝える資料館となっています。実は彼は生前、みんなで建てた家だからという理由で、自分の名前をつけることを拒否していたのです。そのため、シュモーの功績を知る者は広島でも少ないのです。しかし、彼のことを忘れないためにと、あえて市民たちがその名を残し、資料館にしたのだそうです。

その後、シュモーは朝鮮戦争後の韓国にも家を建て、アメリカの原爆実験を非難。エジプトに渡り、難民救助活動も行いました。その功績を称え、日本政府は1982年に勲章を授与。翌年には、広島市特別栄誉市民になりました。その後、平和活動家に贈られる谷本清平和賞を受賞すると、賞金は全て、自身の信じる平和活動に費やしたそうです。そして、105歳で平和への思いを貫き通した生涯を閉じました。

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