見逃したテレビを見る方法
映像の世紀

映像の世紀バタフライエフェクト「危機の中の勇気」の再放送・見逃し動画配信は?

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「映像の世紀バタフライエフェクト」ってどんな番組?

放送 毎週月曜日 午後10時〜10時45分[NHK総合]

初回放送 2022年4月4日(月)

一羽の蝶の羽ばたきが嵐を起こす!

1995年に放送を開始した「映像の世紀」の新シリーズ。蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか?世界各国から収集した貴重なアーカイブス映像をもとに、人類の歴史に秘められた壮大なバタフライエフェクトの世界をお届けする。

語り 山田孝之、山根基世

<ご参考>

これまでの「映像の世紀」シリーズについては、以下の記事をご参照下さい。

>> NHK「映像の世紀プレミアム」の再放送・見逃した動画を見る方法は?

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「映像の世紀バタフライエフェクト」の再放送・見逃し動画配信は?

「映像の世紀バタフライエフェクト」の再放送については、翌週木曜日 午前0時25分〜放送される予定です。 また、この番組の見逃し動画は、「ユーネクスト」や「NHKオンデマンド」で放送日の翌日から配信される予定です。

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NHKオンデマンドは、NHKが放送した番組をブロードバンド回線を通じて、日本国内限定でPCやスマートフォン、タブレット、高機能TV等に有料で配信する動画サービスのことです。NHKオンデマンドは、見逃してしまった番組やニュース番組、そしてもう一度見たい過去に放送した番組を、いつでも好きな時間に視聴することができるというメリットがあります。ただし、NHK番組しか見ることができません。

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なお、NHKの見逃した番組を見る方法は、コチラの記事をご参照ください。

NHKの見逃し番組を見る方法

(注)なお、本ページに記載しているユーネクストの情報は2023年2月時点のものです。 最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

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映像の世紀バタフライエフェクト「危機の中の勇気」

放送 2023年1月16日(月)午後10時〜[NHK総合]

2001年1月、新大久保駅のホームで転落した人を助けようとして命を落とした韓国人留学生イ・スヒョンさん。6年後の同じ日、またしても転落事故が起き、助けようと線路に飛び込んだ人がいた。今度は助かった。助けようとした人は6年前に亡くなったスヒョンさんの本を読んでいた。ひとつの勇気は次の誰かを動かす。サンフランシスコ大地震、関東大震災、ロンドン大空襲、同時多発テロ、東日本大震災。危機の中の勇気の物語。

「勇気の連鎖」の物語

極限状態にあって人は最高の勇気を発揮することがある。そして、その勇気は次の誰かを動かしてゆく。

Crisis1 サンフランシスコ大地震 1906年4月18日

午前5時12分、サンフランシスコの町をマグニチュード7.7を越す巨大地震が襲った。50ヶ所以上で火の手が上がり、またたく間に燃え広がった。アメリカ屈指の繁華街は瓦礫と化していた。死者は3000人を超え、人口の半数以上の22万人が家を失った。パレスホテルも焼け落ちた。この時、市当局が何より恐れていたのは民衆がパニックに陥り、暴動や略奪に走ることだった。しかし、そんな不安をよそに、力を合わせ瓦礫を片付けたり、自然発生的にバケツリレーをする市民の姿が見られた。家を失った女性が空き缶ひとつと灰皿一枚で始めた炊き出し所は、やがて300人に食事を提供するようになり、いつしか「パレスホテル」と呼ばれるようになった。極限状態で助け合う人々の姿を見ていた少女がいた。8才のドロシー・デイがこの時に目にした光景が、その後の少女の運命や世界を変えることになる。

Crisis2 関東大震災 1923年9月1日

サンフランシスコ大地震から17年後、今度は日本で巨大地震が発生した。東京を中心に21万棟を超す家屋が全焼、死者は10万人にのぼった。さらに混乱の中、各地で朝鮮人が襲撃された。その一方で、互いに助け合う人々の姿も見られた。避難所となった日比谷公園では、お汁粉やライスカレーをふるまう屋台が並んだ。持てる者は持たざる者に手を差し伸べ、廃墟の町で支え合う様子が見られた。

実は、関東大震災の発生は、予言されていた。18年前に警告を発していたのは東京帝国大学の地震学者・今村明恒だった。しかし、「ホラ吹き」と批判を浴び、防災対策の訴えは国民の心には届かなかった。無念を抱えながら今村は被災地を周り、その惨状を目に焼き付けた。今村は市民に防災を呼びかけるために全国各地を回った。次は西日本に南海地震が襲うと予測した今村は、私財を投げ売って8ヶ所に観測所を設置、次こそは大地震の兆しを掴んで地震学者としての使命を果たそうとしていた。しかし、太平洋戦争が始まると観測中止を余儀なくされた。最悪な形で今村の予測は的中し、1944年東南海地震、1946年南海地震が発生、防災対策はまたしても間に合わなかった。今村の執念は受け継がれ、63年後に多くの命を救うことになる。

Crisis3 第二次世界大戦 1939〜1945年

第二次世界大戦が始まって間もなく、ドイツ軍によって行われたロンドン大空襲では、2万人が犠牲となった。市民をパニックに陥れることがドイツの狙いだとチャーチル首相は見ていた。しかし、ロンドン市民たちは力を合わせて復興の作業に取り組んでいた。女たちは食糧を手に入れるために整然と列を作っていた。ドイツ軍の攻撃が始まると市民は地下鉄の駅へ避難した。夜が明けると人々はいつもどおり職場に向かった。

Crisis4 冷戦下の核開発競争 1945〜1989年

戦争が終わっても平和は訪れなかった。アメリカとソ連による核開発競争が始まり、世界が核戦争の恐怖に怯えた。アメリカ政府は核戦争を想定した避難訓練を全国で実施、ニューヨーク州では避難訓練の参加が市民の義務とされた。これに反対し避難訓練への参加拒否を呼びかける女性が現れた。サンフランシスコ大地震で人々が助け合う姿を見ていた少女ドロシー・デイだ。ドロシーにとって避難訓練に参加することは核開発を容認することにほかならなかったからだ。ドロシーは何度も逮捕されたが、ドロシーは危機に立ち向かう人間の勇気と善なるものを信じていた。デモは世界規模に広がり、避難訓練は廃止された。2年後には部分的核実験禁止条約に米ソが署名、初めて核開発に歯止めがかけられた。一人の女性の信念は巨大なうねりを巻き起こし、世界を動かした。

Crisis5 アメリカ同時多発テロ 2001年9月11日

世界貿易センタービルに飛行機が激突。その直後、人々はパニックに陥ることなく落ち着いて避難を始めていた。人々は整然と譲り合いながら階段を降りていた。最初の激突から17分後、2回目となる旅客機の激突。投資銀行で働いていたウェルズ・クラウザーは母にボイスメッセージを残した。ウェルズは非常階段で避難を始めたが、飛行機が直撃したフロアにたどり着いた時、降りるのをやめて取り残された人を助けることにした。ウェルズに命を助けられたと証言した人は12人にのぼった。激突から56分後、南棟は崩壊、巨大な粉塵の塊が町を襲った。南棟に続いて北棟も崩れ落ち、粉塵はさらに巨大化していった。粉塵が落ち着くと、現場付近では生き埋めとなった人の捜索が始まった。半年後、瓦礫の中から一人の男性ウェルズ・クラウザーの遺体が見つかった。ウェルズは少なくとも3回、上層階まで往復し最後まで救出活動を続けていた。ウェルズは幼い頃から消防隊員だった父親に憧れていたという。ウェルズの母親は、20年にわたり息子のことを中学生に語ってきた。

アメリカはテロの首謀者をかくまっているという理由でアフガニスタンへの攻撃を始めた。アメリカの世論も9割近くが報復攻撃を支持した。そんな中、報復に反対する人々がいた。それはテロによる犠牲者の遺族たちだった。15人の遺族たちは平和団体ピースフル・トゥモローズを発足、憎しみの連鎖を断ち切ろうと訴えた。

Crisis6 東日本大震災 2011年3月11日

大津波に襲われながら多くの命が救われた集落、岩手県大船渡市綾里地区。ここでは、人口の99%が助かった。明治時代に記録的な大津波の被害を受けたというこの地に足繁く通った地震学者がいた。関東大震災を警告しながらも防災対策を実現できなかった今村明恒だ。関東大震災から10年後、昭和三陸大津波が発生、今村は岩手県の復興アドバイザーとしてこの地に通い続けた。今村が訴えたのは、集落全体の高地移転だった。今村の熱意は人々を動かし300戸が高台へ移転した。1948年に今村は亡くなるが、彼のやり残したことを引き継ぐ人物が現れる。山下文男だ。山下は「津波てんでんこ」を提唱した。地元の小学校では年に2回の避難訓練が実施されていた。そして、2011年3月11日綾里地区に押し寄せた津波は最大40mを超えた。しかし、高地移転した家々に津波の被害はなかった。

JR新大久保駅転落事故 2001年1月26日

JR新大久保駅で痛ましい事故が起きた。線路に転落した男性を助けようとしてホームから2人の男性が飛び降りた。しかし、その直後に電車が入ってきて3人全員が命を落とした。見知らぬ男性を助けようとした韓国人留学生イ・スヒョンさん(26才)。目撃証言によるとスヒョンさんは最後まで逃げようとせず両手を広げて電車を止めようとしていたという。スヒョンさんは日韓の架け橋になりたいと日本へやってきた。その勇気ある行動は、日韓共同制作による映画にもなった。

それから6年後、まさにスヒョンさんの命日のことだった。新大久保駅から7km離れた上野駅でまたしても転落事故が起きた。3人の乗客が助けようとホームから飛び降りた。救出は成功し、間一髪で全員助かった。助けようと線路に飛び降りた一人、山本勲さんは、数日前にスヒョンさんの母親が書いた本を読み終えたところだった。きっとスヒョンさんが背中を押してくれたのだろうと語る。

2022年10月、東京でアジアからの留学生を支援する奨学金授与式が行われた。代表を務めるのはスヒョンさんの母親だ。事故直後、スヒョンさんの勇気に感動し多くの義援金が集まり、そのお金で奨学金制度が始められたのだ。スヒョンさんの「日韓の架け橋になりたい」という夢は、時空を超えて確かに受け継がれていた。

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