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フランケンシュタインの誘惑

フランケンシュタインの誘惑「幻の地震予知」の再放送は?大森房吉と今村明恒の論争の真相は?

フランケンシュタインの誘惑~科学史 闇の事件簿~

科学は、人間に夢を見せてくれる一方で、ときに残酷な結果をつきつけます。理想の人間を作ろうとした科学者フランケンシュタインが、怪物を生み出してしまったように・・・。

この番組は、科学史に埋もれた闇の事件にスポットをあて、科学の真の姿に迫る知的エンターテインメント番組です。

アニメ「ドラえもん」に描かれている風刺からも、便利なもの(=科学が生み出したモノ)も使い方をも違えると大変なしっぺ返しをくらうことが解ると思います。科学が万能ではないことを理解し、正しい使い方をして初めて世の中のためになり人々に幸福をもたらすのだということを、あらためて思い知らされます。

ナビゲーター/ナレーションは、吉川晃司さんが務めます。

放送は、毎月最終木曜日午後10時~です。また、約1ヶ月ぐらいのインターバルを置いて再放送もされますが、日時は毎回定まっていません。番組ホームページ上でご確認ください。また、動画配信サービス「NHKオンデマンド」でも視聴できます。

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フランケンシュタインの誘惑 第21回「幻の地震“予知” 日本を揺るがした大論争」

BSプレミアム 2018年2月22日(木)午後10時~

【出演】総合研究大学院大学名誉教授…池内了,名大地震火山防災研究センター教授…山岡耕春

(左)今村明恒、(右)大森房吉

放送前の予告

科学史に埋もれた闇の事件簿。今回は地震列島の日本にとって長年の悲願だった「地震予知」を巡る大論争をテーマにお送りします。

今から100年あまり前の話です。今では、日本が世界最先端を行くと言われている地震学が、まだれい明期だった頃の話です。その頃、「地震予知」を巡って大論争を繰り広げた二人の科学者がいたのです。東京帝国大学教授・大森房吉と、万年助教授の今村明恒です。論争が続くなか日本の地震学は世界に遅れを取り、防災の備えのないまま関東大震災が発生してしまうのです。ということで、今回は「地震予知」の闇に迫ります。


関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒 [ 上山明博 ]

1923年9月1日、そのとき地震学者はー関東大地震を「予知できなかった男」と記憶された東京帝国大学地震学教室教授・大森房吉、「予知した男」と記録された同助教授・今村明恒。権威の責任とは、研究者の正義とは何か。ノーベル賞間違いなしと謳われた地震学の父、大森の信念に初めて光を当てる感動長編。

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大森房吉(おおもりふさきち)

越前国足羽郡福井城下(福井県福井市手寄)出身。下級武士の大森藤輔の5男として生まれる。小学生の時に上京。
1890(M23)東京帝国大学理科大学物理学科卒業。大学院に進み、イギリスから招聘されたジョン・ミルン教授の指導のもとで地震学及び気象学を専攻研究。
1891濃尾大地震(M8.0)の際、余震調査や現地調査に当たる。この時に地質学者の小藤文次郎(14-1-9)などと参加した。1892震災予防調査会設立とともに委員となる。 1894ドイツ、イタリアに留学後、1897東京帝国大学地震学教授となり、震災予防調査会を主宰して地震学界を指導した。国内地震はもとより海外の大震災にも出張踏査したのをはじめ、日本代表としてしばしば国際会議にも出席し、万国地震学協会の設立にも尽力した。 これらの調査報告および学術論文は和欧文を含めて200編以上にのぼる。当時を代表する著作に『地震学講話』(1908)がある。
地震学上の業績として、1.大森式地震計、微動計の考案。2.地震帯の発見。3.初期微動と震源距離との関係(大森公式)。4.余震頻度の式。5.潮位、津波の研究。6.建築物の振動測定(耐震試験)などがあげられる。これらの業績は世界的にも認められ、スウェーデンのノーベル賞委員会から審査論文の提出を求められた話は有名である。
大森を助けた後輩で同大学助教授・地震学者の今村明恒(12-1-5)の働きも大きく、地震予知説論争では相対立したが体系をととのえた功績は大きい。 大森を中心に樹立された地震学は、1923(T12)発生した関東大震災によりさらに多くの貴重な実質的資料が得られ日本の地震学を発展させた。
オーストラリアのシドニーでの汎太平洋学術会議に出席中に関東大震災の悲報を知り、リバビュー天文台で関東大震災の揺れを観測し、その大きさに驚愕。 急ぎ帰国の船中で脳腫瘍のために倒れ、帰国後悪化し翌月に逝去。正3位 勲1等 理学博士 享年55歳。亡くなる前に対立していた今村に今後の地震研究を託していた。 その後、今村は幅広い震災対策を呼びかけ尽力した。 なお、関東大地震の後、震災予防調査会は廃止され、’25東京帝国大学地震研究所が設立され、地震学の基礎的研究と災害軽減が特に重視された。
<出典>「コンサイス日本人名事典」「朝日日本歴史人物事典」など。

今村明恒(いまむらあきつね)

鹿児島県出身。薩摩藩士の今村明清の3男として生まれる。造士館を経て、1894(M27)東京帝国大学理科大学物理学科卒業後、大学院の地震学講座に入り、後に講座助教授。 1896より陸軍教授も兼任。1899当時としては異端説とされた「津波の原因は海底の地殻変動とする」説を提唱。
当時の東京帝国大学地震学教室の教授が大森房吉(3-1-24)であり、今村明恒は助教授であった。年は大森が二歳年上。 関東大震災前に双方とも東京にいずれ地震が来て大火災に見舞われると考えは一致していた。 しかし、1905投稿記事の中で今村は「将来起こりうる関東地方での地震への対策を訴える」と猶予はないと警告し、’11今村式強震計を開発。 一方、大森は今村の発言や行動が世情を必要以上に動揺させることにつながる思い、それを恐れ、今村の説を退けていたため、両者は対立していた。 今村は「ホラ吹きの今村」と中傷されるも、’23(T12)関東大震災によって現実のものとなった。 大森は出張先のシドニーで関東大震災を知り、急きょ10月に帰国したが、脳腫瘍の悪化で11月に没した。亡くなる前に後事を対立していた今村に託した。大森の後を継いで地震学講座教授となる。地震学科創立とともに主任。
その後、今村は地震博士として幅広い震災対策を呼びかける一方、地震発生が予想される南海道地方に私設観測所設置、’29(S4)一端解散していた日本地震学会を再設立し会長。 帝国学士院会員。後に学会誌『地震』の編集、地震研究所員を兼任、また統計学的研究による磁気測定、地震計の考案、地震波の位相の伝播速度測定など、地震学の発展に多くの業績を残した。 ’31定年退官。その後も私財を投じて地震研究を続けた。’33三陸沖地震発生後の復興の際に津波被害防止にため高所移転の提案をした。 また、「稲むらの火」を国定教科書への収載を訴え、小学生から津波被害に関する教育の重要性の認知にも取り組んだ。
’44東南海地震発生前より、掛川から御前崎の水準測量を行い、地震前日から御前崎が隆起する動きを確認。これは現在の東海地震の発生直前の地震予知の裏付けとなる根拠とされている。
主な著書に『「稲村の火」の教え方について』、『地震の国』、『地震講話』、英文『理論・応用地震学』、共著に『星と雲・火山と地震』、地方出身者のための東京弁指導者『東京辮』など多数。従3位 勲2等。享年77歳。次男の今村久も地震学者である。
<出典>「コンサイス日本人名事典」「講談社日本人名大辞典」など。

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