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NHKスペシャル

NHKスペシャル・シリーズ大江戸「ロストシティー江戸の知られざる姿」の再放送・見どころは?溝端淳平がナビゲーター!

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見逃した「NHKスペシャル」の再放送は?

NHKスペシャルは、NHK総合テレビでの再放送が放映されますので、まずは、それで視聴されることをオススメします。多いパターンとしては、翌週または翌々週など2週間以内の平日の深夜に再放送されることが多いので、番組表を調べるかNHKスペシャルのWebサイトでご確認下さい。反響が高い番組は、何度も再放送されています。でも、深夜の放送ということもあり、休日にゆっくりと見たいという方には、最近流行の「動画配信サービス」がオススメです。

「NHKスペシャル」の見逃し配信は、NHKオンデマンドで配信されています。

NHKオンデマンドは、NHKが放送した番組をブロードバンド回線を通じて、日本国内限定でPCやスマートフォン、タブレット、高機能TV等に有料で配信する動画サービスのことです。NHKオンデマンドは、見逃してしまった番組やニュース番組、そしてもう一度見たい過去に放送した番組を、いつでも好きな時間に視聴することができるというメリットがあります。ただし、NHK番組しか見ることができません。

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NHKスペシャル シリーズ「大江戸」

2020年のオリンピック・パラリンピック開催を前に、国内外から熱い注目を集める東京。そのルーツの町「江戸」をめぐり、最近、新たな発見や研究成果が相次いでいます。150年前、1868年に消えた「日本史上最大のロスト・シティー」とも言える江戸の知られざる姿を、ドキュメンタリーや4KCG、ドラマ表現など多彩な演出で描きます。

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【番組ナビゲーター】松平 健、木村佳乃、溝端淳平

シリーズ 大江戸 第1集 世界最大!! サムライが築いた“水の都”

放送 2018年4月29日(日)午後9時00分~

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放送前の予告

新シリーズ大江戸の第1集は、巨大都市建設の物語です。小さな田舎町だった江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多100万の人口を抱える大都市に成長しました。その原動力はどこにあったのでしょうか? 最近、江戸初期の都市計画を描いた最古の図面や、幕末期の江戸を写した写真が見つかるなど新たな発見が相次ぎ、その変遷が詳しく分かってきました。江戸は、水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だったのです。巨大な「水の都」江戸誕生の秘密に迫ります。

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放送後のポイント解説

徳川家康が初めて江戸に立った時、、人口6万人ほどの小さな田舎町でした。しかし、18世紀初め(江戸時代後期)には、パリやロンドンをも上回る100万人都市になっていたんです。

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徳川家康はどうして、小さな田舎町の江戸に幕府を開いたのか?そして、その田舎町をどのようにして100万人都市へと拡大していくことができたのか?その謎を解くヒントが、「江戸始図」にありました。

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番組では、江戸を世界一の都市にすることができた理由として、3つのカギをあげています。

第1のカギ「らせん状の濠」
第2のカギ「石垣」
第3のカギ「水道ネットワーク」

第1のカギ「らせん状の濠」

江戸城の周囲には、何重にも大きな濠が張り巡らされています。しかし、他のお城の濠とは異なる点があります。それが「らせん状の濠」です。お城の濠と言えば、守りの要と考えられますが、江戸城の濠の役割はそれだけではなく、大量の物資を運ぶ「水運」としての役割も兼ねていたのです。もともと、江戸は湿地が広がっていたため、そこを埋め立てて江戸の町を拡大していったのですが、らせん状の濠なら町の拡大に合わせていくらでも濠を伸ばすことができました。

第2のカギ「石垣」

江戸の町は、海や湿地を埋め立てて拡大していった軟弱な地盤のうえにありました。そこに、濠を作ることは容易な事ではありません。それを可能にしたのが「石垣」です。その大量の石は、伊豆半島から切り出して船で運ばれてきた石だったのです。このお濠の工事は「江戸普請」と言って幕府が全国の大名に命じたものなんです。そして、濠の石垣には、普請をした大名の刻印が刻まれています。戦がなくなった時代に、大名たちは戦に代わる幕府への奉公として、命がけでこの江戸普請に取り組んだのです。こうして、石造りの濠による「巨大物流ネットワーク」が作られたのです。

第3のカギ「水道ネットワーク」

物流ネットワークが完成した江戸には、全戸各地から多くの物資が集まってきました。そして、人も集まってきました。そうなると、もう一つ大きな課題として「飲み水」の確保が重要になってきます。

当時、水道奉行だった伊奈親子は、多摩川から約43キロの水路を使って江戸まで水を引こうとしました。しかし、この治水工事は困難を極めました。水はけの良い「礫岩」の地層を避けるように迂回し、起伏の激しい地形の中で緩やかな勾配の水路を作る必要があったからです。しかし、伊奈親子はこの工事を成し遂げます。そして、四谷の辺りから水路は地下へもぐり、地下に張り巡らせた地下水道で江戸の町に水を届けたのです。その当時の地下水道の水道管が、千代田区京橋の「江戸遺跡」から見つかっています。

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シリーズ 大江戸 第2集 驚異の成長!! あきんどが花開かせた“商都”

放送 2018年6月10日(日)午後9時00分~

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放送前の予告

第2集は江戸の経済発展の物語です。去年、江戸中期の経済成長率が、同時期の世界トップクラスだったことが判明しました。いわゆる「鎖国」をしていた日本で、著しい経済発展を支えたのは何だったのでしょうか?

その謎を読み解くカギが、江戸一番の商業地だった日本橋に眠っていました。老舗の商家に保管されていた160年の記録から浮かび上がってきたのは、激動の江戸経済の実態や、世界に先駆けた商いの仕組み、そして厳しい競争社会の中で生まれた独自のセーフティネットだったのです。

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放送後のポイント解説

江戸時代中期の経済成長率は、イギリスが0.29%、オランダが0.21%、そして日本は0.24%という試算があります。これによると、18世紀の経済成長率で日本は第2位だったということになります。

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鎖国政策をとっていた当時の日本がどうして世界トップクラスの経済成長を成し遂げることができたのでしょうか?その成長を支えたカギは3つありました。

第1のカギ 大名たちの経済力

江戸時代に最も栄えた庶民の町・日本橋には、約5,000軒もの商店がお店を構えていました。1699年創業の伊勢屋(現在の「にんべん」)もその中の一軒で、当時は削り節問屋を営んでいました。初代・伊勢屋伊兵衛は、大名家との商売で巨額の富を得たのです。

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当時の江戸の人口100万人の構成は、武家50万人と町人50万人だったと推測されています。特に、参勤交代でやってきた地方の大名家が江戸の町で莫大な額の消費活動をすることに伊兵衛は目を付けたのです。まさに商売を拡大するビッグチャンスだったのです。そして、伊兵衛は加賀100万石の前田家の出入り商人となり急成長を遂げたそうです。当時の加賀藩の江戸における消費額は60億円程度と推測されています。まさに、参勤交代で江戸にやってきた大名たちによるバブルの好景気だったわけです。

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第2のカギ 町人50万人の新たな消費マーケット

大名バブルの好景気は長くは続きませんでした。物価が上昇し、年貢の取りたてが物価に追いつかなくなり、武士は没落していったのです。大名バブルの崩壊です。武士たちは商人から借りた借金を踏み倒しました。そのため、商人たちも資金繰りが厳しくなり、つぶれるお店も多かったようです。

しかし、その当時の江戸の町は決して寂れていたわけではなく、活気に満ち溢れていました。ベルリンに保存されている江戸の町の様子を描いた「絵巻」には、多くの庶民たちが様々な商売をしている様子が描かれています。つまり、仕事が分業化されて多くの新しい職業が生まれていたのです。それによって新たな市場が生まれ、貨幣が大量に流通していたのです。

この時期の伊勢屋は、三代目に代替わりしており、商売の相手を武家から町人へと転換していきました。網節という安価なかつお節を「現金掛け値なし」で品質を保証して販売し爆発的なヒットとなりました。この「現金掛け値なし」とは、現金払いなら定価で販売するというシステムで、掛け売りが主流だった当時としては画期的な事だったそうです。

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江戸時代の長屋跡から発掘される生活用品から、当時の江戸の庶民は予想以上に豊かな暮らしをしていたことがわかってきました。江戸の町の50万人の町人たちが経済を下支えしていたのですね。

第3のカギ 商人たちが築いたセーフティネット

江戸の町は、経済成長に伴うひずみを体験します。それは、「貧富の格差」です。浅間山の大噴火をきっかけに天明の飢きんが起き、貧しさに耐えかねた町人たちが「打ちこわし」をして町人の蔵屋敷から略奪行為を行ったのです。最悪期には、5日間で1,000軒のお店が破壊されたそうです。

そこで、町人たちは「町会所」という仕組みを作り、そこでお米を蓄えて貧しい人たちに分け与えるという「セーフティネット」のシステムを作り出したのです。豊かな商人たちがお金を出し合って貧富の格差を是正し、貧しい人たちを救済することで「打ちこわし」が起きないようにしたのです。また、町会所は食糧の配給だけではなく、水路の修復も行いました。商人たちが、自らの資金と創意工夫で築いたセーフティネットは、その後も江戸の町で長く受け継がれていきました。

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シリーズ 大江戸 第3集 不屈の復興!! 町人が闘った“大火の都”

放送 2018年7月1日(日)午後9時00分~

放送前の予告

最終回の第3集は、大火災と格闘した江戸っ子たちの物語です。去年、東京駅近くの工事現場から、江戸時代265年の地層が初めて一度に出土しました。そこには、大火の跡「火災層」が幾層も残されていました。最新研究から、江戸は3年に一度の割合で大火に襲われる、「世界最悪の火災の町」だったことが判明しました。さらに、竜巻のような炎「火災旋風」が猛威を振るっていたことも分かりました。

江戸の人々は、この災厄の町とどう向き合い、どのようにして復興を成し遂げていたのでしょうか?番組では、大火後の江戸の大改造や防災対策の成果を、最新のシミュレーションで検証。さらに、江戸の町人たちが生んだ、「町火消」をはじめとする画期的な仕組みを明らかにします。

放送後のポイント解説

明暦の大火をシミュレーション

江戸時代は火事が頻繁に起きていました。現在の東京駅の近くの発掘現場に現れた江戸時代の地層から「火災層」が10回も残っていたのです。これは、その現場で江戸時代に10回も大火があったことを物語っているのです。

江戸時代の記録からは、江戸の町で89回の大火があったことがわかりました。これは、おおよそ3年に一度大火が起きていたということになります。当時は、一度火事が発生すると、燃え草がなくなるまで燃え続けていたようです。

世界最大の火事とも言われる「明暦の大火」は、1657年に起きました。この火事は、江戸の町の約7割を焼き尽くし約6万人の犠牲者を出したと言われています。その明暦の大火を現代の科学でシミュレーションした様子が放映されました。すると、驚くほどの速さで燃え広がっていくことがわかりました。当時は隙間なく木造の長屋が立ち並んでいたことや、木製の溝蓋が使われていたために、それらが導火線のように火事を拡大していったと考えられています。また、炎が竜巻のように渦を巻く「火災旋風」が発生し、日本橋が燃え落ち、江戸城の天守閣も焼け落ちました。約3日間にわたり燃え続けたそうです。

大火の後の復興

そんな明暦の大火のあと、江戸の町を大規模に復興したことが、当時の復興計画図からわかってきました。ただ単に、火災の前の状態に戻したのではなく、江戸の町を大改造し、町を拡大・発展させ、防災力をも高めるような大復興を成し遂げたのです。それは、武士・僧侶・町人たちが一丸となって成し遂げた復興でした。

この復興では、江戸の住民が大移動したんだそうです。武家屋敷は赤坂・市ヶ谷・小石川へ、寺社は芝・浅草へ、町人は本所・深川へと大移動し、江戸に新たな町が生まれました。この大移動の費用を捻出するために、江戸城天守閣の復興を断念したと言われています。また、住宅密集地には「日除地」と言われる防火帯(家屋を立てない空白地)を設けたそうです。この復興で全国から職人や物資が江戸に集まりました。

かくして、江戸の町は大火を経験したことによってさらに人口が増加し、世界一の都市へと成長を遂げたのです。さらに、大相撲や墨田川の花火大会などの新たな文化も生み出しました。

火事がもたらした新たな価値観とは?

大火を経験し不死鳥のように蘇った江戸の町は、さらに人口が増加して、せっかく作った日除地には民家が立ち並んでしまい、1698年に起きた勅額火事では3,000人もの犠牲者を出してしまいます。

この時に立ち上がったのが、町人たちで作られた消防組織「町火消」でした。「い組」「ろ組」・・・と江戸の47の地区に町火消を配置したのです。当時の火事の対処法は、火が燃え広がらないように家屋を壊す「破壊消防」という手法でした。町人たちは、いざという時には躊躇なく自分の家を差し出したと言われています。そのために、家屋は壊しやすいように簡易な構造にし、家の中も大型の家具は置かず必要最低限の身の回りのものだけを持つシンプルな暮らしをしていたのです。江戸の火事がもたらした新たな価値観は、お金やモノに執着しない身軽な生活だったのです。

そして、素早い復興も町人たちが担っていました。町人たちはお金を出し合って、復興に必要な木材を木場に貯蔵していたり、お米などの食糧を蓄えていたそうです。だから、家が焼け落ちても、安い木材を調達して直ぐに復興することができたんだそうです。この当時の互いに助け合うという精神は、今も古い東京の各地に残っているそうです。

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参考書籍のご紹介

川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩 (PHP新書) [ 岡本哲志 ]


川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩 (PHP新書) [ 岡本哲志 ]

銀座、築地、日本橋、八丁堀、人形町…。約五〇年前まで、水路や掘割に囲まれていた下町。その名残を尋ね、掘割が出来た理由や、街の来歴、神社仏閣の縁起などを探っていく。また、江戸や明治期と現在を重ね合せた「地図」が満載。さらに、川が流れていた昭和期の懐かしい街並みの「古写真」も豊富に掲載されていて、眺めているだけでも楽しくなる。東京メトロ、都営地下鉄の最寄駅・出口からの詳細な「街歩きガイド」も付いていて、散歩のお供にもなり、江戸・東京の歴史の勉強にも使える一冊。

水の都市江戸・東京 [ 陣内秀信 ]


水の都市江戸・東京 [ 陣内秀信 ]

「水都学」誕生!都心や下町の川・濠・運河から、湾岸、郊外の「水の郷」まで歴史とエコロジーの視点から一望する“知的ガイドブック”。

江戸東京の下町と考古学 地域考古学のすすめ [ 谷口榮 ]


江戸東京の下町と考古学 地域考古学のすすめ [ 谷口榮 ]

縄文海進から昭和の戦争遺跡まで、近年の発掘調査の成果から水の都・東京低地の地域史を描く!!

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