見逃したテレビを見る方法
英雄たちの選択

英雄たちの選択「幕末“海防の祖”江川英龍」の再放送・見どころは?

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BSプレミアム「英雄たちの選択」ってどんな番組?

放送  毎週水曜日 午後8時~[BSプレミアム]※2019年4月より変更

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日本の運命を決める岐路に立った歴史上の英雄たちは、その時、様々な選択肢の中からたったひとつの「選択」を行います。なぜ英雄はそれを選んだのか?その「選択」の背景には、信念や賭け、勝算や打算など、どのような人生経験や価値観が影響していたのでしょうか?そして、その「選択」は、後世にどんな影響を残したのでしょうか?

この番組は、歴史学者の磯田道史さんのほか、歴史学・軍事学・心理学・経済学など様々な分野の専門家たちとともに、英雄たちの「脳内」に深く分け入り、選択の崖っぷちに立たされた英雄たちが体験したであろう葛藤を、専門家の考証に基づいて厳密に復元し、複数の選択肢を、独自アニメーションなどを駆使してシミュレーションします。そして、新しいアプローチで日本の歴史を描きだす歴史教養番組です。

特に、歴史学者の磯田道史さんのコメントには興味深いものがあります。歴史上の出来事や人物の心理などを客観的に、いろんな視点から真理を追究する姿勢には、毎回、たいへん勉強になります。

現代人の私たちも、人生の中で岐路に立たされることは少なくありません。そんな時に、歴史上の人物が悩みぬいた挙句にとった行動は、良い参考になると思います。

ナレーションは、俳優の松重豊さんが務めています。

「英雄たちの選択」の再放送は?

再放送 毎週水曜日 午前8時~[BSプレミアム]※2019年4月より変更

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見逃した「英雄たちの選択」を見る方法は?

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英雄たちの選択「奮闘!世直し江川大明神 幕末“海防の祖”江川英龍」

放送 2020年11月4日(水)午後8時~[BSプレミアム]

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放送前の予告

幕末、「世直し江川大明神」と領民からあがめられた男がいた。黒船来航の時、砲台や反射炉の製造に奔走し、日本の海防の先駆けとなった江川英龍(ひでたつ)とは何者か?

嘉永6年、ペリー率いるアメリカの艦隊が浦賀港沖に来航しました。実は、ペリー来航の16年も前から、その訪れを予知したかのように洋式の軍艦・武器や西洋砲術の導入といった海防充実の必要性を幕府に積極的に訴え続けたのが伊豆・韮山の代官、江川英龍だったのです。激動の幕末に、日本の海防の礎を築いた江川英龍のビジョンとその並外れた行動力の秘密にスポットを当て、国難に立ち向かうリーダーの条件を探ります。

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【司会】磯田道史,杉浦友紀
【出演】佐々木譲,淺川道夫,萱野稔人
【語り】松重豊

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放送後のポイント解説

  • 江川英龍の家は、代々、幕府直轄地の韮山を治める代官だった。
  • 天保の大飢饉の時、英龍は各地で起きた一揆が役人の悪事が原因であることを突き止めて役人を罷免したり、農民たちに低利でお金を貸したりして、窮地をしのいだ。
  • その功績から、「世直し江川大明神」と讃えられた。
  • 英龍は、度々異国の船が現れることから海防の必要性を感じ、幕府に建議書を提出した。また、農兵を取り入れる提案も行った。しかし、それらの建議書が取り上げられることはなかった。それでも、英龍は建議書を出し続けた。
  • アヘン戦争で大国・清がイギリスに負けると、幕府は西洋砲術の訓練を始め、英龍もそこで西洋砲術を学ぶと、韮山塾を立ち上げて西洋砲術を教える。
  • 1849年、イギリス艦隊が来航。英龍は幕府から交渉役を命じられ、イギリスのマリナー号を退去させた。
  • ペリーが浦賀に来航すると、英龍は勘定吟味役に取り立てられ、海防の仕事に就く。英龍は、軍艦の購入・建造と浦賀沖での砲台の建設を訴えるが、幕府はその提案を退け、品川沖に砲台を建設することとし、その建設を英龍に命じた。
  • また、英龍は大砲を作るために韮山で反射炉の建設に着手する。
  • ペリーと通商条約が締結されると、幕府は砲台の建設計画を縮小する。
  • その後、過労がたたり、英龍は55歳で道半ばで亡くなる。それから4年後に反射炉は完成。

江川英龍とは?

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江川英龍は、享和元年(1801年)5月13日天領伊豆韮山代官 江川英毅の次男として生まれる。父 英毅の後を継いで韮山代官となったのは天保6年(1835年)35歳の時。

この頃、日本近海に外国船がしばしば現れ、時には食糧、薪、水を求める事態となっていたが、幕府は異国船打払令を制定し、外国船を日本近海から駆逐する方針を取っていた。そんな中、天保8年(1837年)鹿児島湾と浦賀沖に、日本人漂流民の送還と通商、キリスト教布教のために現れたアメリカの商船モリソン号を、薩摩藩、浦賀奉行が砲撃する「モリソン号事件」が起きる。伊豆下田は、太平洋から江戸湾への入り口に当たる海防上重要な地域であり、英龍は従来より江戸湾の海防に大きな関心を持っていたが、この事件をきっかけに更に危機感を強めていった。

英龍は、この頃渡辺崋山、高野長英ら尚歯会の知己を得る。崋山らは、海防問題の改革を強く主張。当時、沿岸に備えた大砲は旧式で、砲術の技術も多くの藩では古来から伝わる和流砲術を採用していた。このような状況下、尚歯会は洋学知識の積極的な導入をはかる場となっていた。また英龍は、尚歯会内で西洋砲術を研究している高島秋帆を知り、西洋砲術を海防問題に活かす道を模索する。

その後、英龍は高島秋帆に弟子入りし、西洋砲術を学ぶとともに、秋帆の砲術演習に家来を参加させる。英龍は老中水野忠邦より、正式に高島流砲術の伝授を認められ、以後それを更に改良した西洋砲術の普及に努める。全国各地から派遣された藩士がこの西洋砲術を学んだ。佐久間象山、橋本左内、桂小五郎(後の木戸孝允)らが彼の門下で学んだ。

嘉永6年(1853年)ペリー来航直後に勘定吟味役格に登用された英龍は、老中 阿部正弘の命で、江戸湾防備の目的で砲台・品川台場(お台場)を築造する。更に、台場に配備する鉄製砲を鋳造するため反射炉の建造に取り組む。当初は下田で建造が開始されたが、ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入する事件が起きたため、築造場所が伊豆韮山に変更される。実は、江川英龍は、この韮山反射炉の完成に立ち会えていない。幕末の混乱の中 あまりの激務に体調を崩し、安政2年(1855年)1月16日に病死している。韮山反射炉は、跡を継いだ息子の江川英敏により安政4年(1857年)に完成した。

反射炉は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属を溶かして大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉体部とレンガ積みの高い煙突からなる。石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し、一点に集中させて銑鉄を溶かす。熱や炎を反射させる仕組みから反射炉と呼ばれた。

韮山反射炉は、現存する反射炉本体のみで完結していたのではなく、関連する様々な建物群や隣接する河川からなる大砲製造工場として産業システムを形成していた。特に鑽開(さんかい)と呼ばれる河川の流水を動力源として水車により大砲を回転させ、錐により砲身をくり抜くシステム(錐台)を備えていた。幕末期の日本では、各地に反射炉が築造されたが、そのほとんどが取り壊され現存するのは萩と韮山の反射炉のみ。特に韮山反射炉は、1857年から64年まで実際に稼働し、大砲を鋳造した反射炉である事が大きな特徴となっている。

反射炉の近くには、江川英龍をはじめ、代々世襲代官を務めた江川家の住宅・江川邸がある。国の重要文化財に指定されている。江川家は、「質素・倹約」をモットーとしており、江川邸には英龍が着たとされる「継ぎの当たった着物」が残されている。

また英龍は、多方面に才能を発揮した人物として知られる。国防上の観点から兵士の携行食としてパンの効用に注目、日本で初めてパン(堅パンに近いもの)を焼いた人物として知られる。邸内には、初めてパンを焼いた際のパン窯も残存している。日本のパン業界からパン祖と呼ばれ、伊豆の国市では毎年1月に江川英龍の功績を称え、「パン祖のパン祭り」を開催、全国高校生パンコンテストも同時開催されている。

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