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歴史秘話ヒストリア

歴史秘話ヒストリア「応仁の乱!天下の“大悪人”畠山義就の真実」の再放送・見どころは?

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「歴史秘話ヒストリア」とは?

毎週水曜日、NHK総合テレビで放送されている番組「歴史秘話ヒストリア」は、歴史上の人物や事件などで今まであまり知られていなかった部分にスポットを当てて紹介し、歴史上の人物の心境や決断などが歴史の秘話として詳しく解説される歴史情報番組です。『その時歴史が動いた』の後継番組として、2009年4月よりスタートして今に至っています。進行役がアナウンサー一人というのもこの番組の特徴で、現在の進行役は、井上あさひアナウンサーが務めています。

※2018年4月より、放送時間が水曜日の夜10時25分~に変更いたしました。

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「歴史秘話ヒストリア」の再放送は?

歴史秘話ヒストリア」の再放送は、基本的には、3日後の土曜日の午前10時05分から放送されていることが多いようです。ただし、イレギュラーな日時があるかもしれませんので、同番組のWebサイトでご確認いただくのが確かだと思います。

※2018年4月より、再放送は毎週土曜 午前10時05分~に変更いたしました。

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歴史秘話ヒストリア「そうだったのか、応仁の乱!天下の“大悪人”畠山義就の真実」

2017年12月1日(金)午後8時~

放送前の予告

今年一番の歴史トピック「応仁の乱」は、室町時代の京都を舞台に将軍や大名がなんと11年も戦い続けた大乱です。登場人物が多く、人間関係も複雑でわかりにくいですよね!

しかし、歴史学者の呉座勇一さんは、この大乱を読み解くカギとなる1人の男がいると言います。それが、畠山義就(はたけやまよしひろ)なんです。幕府にあらがい、前代未聞の大悪人と呼ばれた男です。応仁の乱はなぜ始まり、どうして11年も続いたのか?そして、日本に何をもたらしたのか?全ての答えが畠山義就にありました!

今回の番組では、ベストセラー「応仁の乱」の著者で歴史学者の呉座勇一さんに大乱を読み解くカギを聞きます。

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) [ 呉座勇一 ]


応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) [ 呉座勇一 ]

室町幕府はなぜ自壊したのかー室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七~七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのかー。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。

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放送後のポイント解説

大乱「応仁の乱」のきっかけ

畠山義就は、12歳の若さで畠山家の後継ぎとなり、21歳の時には4ヵ国を治める守護大名となり、室町幕府でも重臣となっていました。当時、畠山家は細川家とならんで管領など幕府の要職に就ける家柄だったのです。その頃、京の都では幕府に不満を持つ人々が集団で「土一揆」を起こし、幕府としても悩みの種でした。しかし、管領となっていた畠山義就は、その土一揆を力づくで鎮圧するのではなく、利用できないかと考えていたのです。そんな義就の様子を見かねていた細川勝元は、なんの手も打たないことを理由に義就を追放し、代わりに義就の従弟にあたる畠山政長を管領の座に就けました。

追放された畠山義就は、河内の嶽山に立て籠もり幕府に反旗を翻しました。義就には、同じように幕府に不満を抱く地方の武将が大勢味方についたそうです。そして、3年近くも戦いが続きましたが、幕府の大軍には敵わず現在の奈良県上北山村に逃げのびたのです。

そんな義就のもとに、やはり同じように幕府に不満を募らせていた山名宗全から、細川勝元を討つために戦を決意したという手紙が届きます。義就はすぐさま5千の兵を従えて上洛し山名宗全と共に京でクーデターを起こしたのです。山名宗全と畠山義就は、一気に京を占拠してしまいました。

応仁の乱はなぜ長引いたのか?

1467年、応仁の乱は堀川を境にして西軍の山名宗全・畠山義就と東軍の細川勝元・畠山政長との間で始まりました。京都の堀川は、平安時代の作られた人工の川で、城の堀の役割を果たしていたことから、応仁の乱の激戦地は堀川にかかる橋の上だったのです。ところが、その後、将軍の足利義政が東軍の細川方についたことから、形勢が逆転してしまいました。しかし、その後、牧夫に不満を持つ大内政弘が3万の大軍を率いて西軍に加勢し、両軍は互角の力関係となり、両軍が守りを固めることに力を注ぎ始めたことから、いよいよ応仁の乱は長期化していきます。

また、もう一つの長引いた理由は、西軍の畠山義就と大内政弘が志を一つにして互いに武勇を認め合い、関係を深めていったからでもありました。

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応仁の乱はどのようにして終わったのか

応仁の乱が始まって5年が経過したころ、山名宗全は降参を考え始めるのですが、畠山義就と大内政弘の二人は反対します。東軍の細川勝元も隠居してしまい一戦から退きます。そして、その1年ほど後に、山名宗全と細川勝元は死去、将軍義政も引退し9代将軍の足利義尚は幕府軍を戦いから引いてしまいました。

両軍の間に入って戦いを終わらせようと考えた日野富子(足利義尚の母)は、莫大な資金を使って、両軍の武将たちとお金で有利な関係を築いていき、武将たちを戦いから引かせていったのです。畠山義就と大内政弘は最後まで戦意を弱めなかったのですが、日野富子は大内家の幕府内での地位を引き上げ、利権も認めたことで大内政弘の戦意を失わせてしまいます。こうして、大内政弘が戦から引いて応仁の乱が終焉したのです。

その後、畠山義就は河内の国に戻り、幕府の力も及ばない独立国を作ったのです。義就は、足軽の報酬が少なく村で略奪が起きることを防ぐために、新たな課税制度を導入して足軽の報酬をあげ、略奪を起きないようにして村人たちから信頼されていったそうです。

畠山義就は、1490年に死去しました。生涯をかけて権力に立ち向かった男だったのです。

権力への不満への対応

結局、権力に対する不満に対して権力者がしっかり耳を傾けて、不満解消のために力を尽くすことが必要だということですね。権力者とそれに対する不満の集団が武力や暴力で対応しても、解決にはならないということなんですね。そして、もう一つの原因は、室町幕府の弱体化というか無策ということもあったのでしょう。もしかしたら、日本の相撲界の改革にも参考になるかもしれませんね。

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歴史学者 呉座勇一さんの著書

戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書) [ 呉座勇一 ]


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手柄より死を恐れた武士たち、悪人ばかりではなかった「悪党」、武家より勇ましいお公家さん、戦時立法だった一揆契状…「下剋上」の歴史観ばかりにとらわれず、今一度、史料をひもとき、現代の私たちの視点で捉え直してみれば、「戦争の時代」を生きた等身大の彼らの姿が見えてくる。注目の若手研究者が描く真の中世史像。

南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで (歴史新書) [ 呉座勇一 ]


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北条氏による権力独占が進んだ鎌倉幕府。後醍醐天皇は、北条氏に不満をもつ武士たちを糾合して幕府を滅ぼす。しかし、新たに発足した「建武政権」は武士を冷遇し、反発した足利尊氏らによって政権は崩壊、朝廷は南北に分裂する。建武政権には多くの旧幕府の官僚が参加し、後醍醐天皇は武士たちに積極的に恩賞を与えた。南朝の政策も時代に即したものだった。では、なぜ後醍醐の「異形」性や建武政権・南朝の非現実性が定説化したのか?その核心に迫る16論考。

一揆の原理 (ちくま学芸文庫) [ 呉座勇一 ]


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日本中世の領主一揆 [ 呉座勇一 ]


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